ねむりひめ

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折から続く雨が俄かに激しくなり大地を打つ。
煤けた壁に囲まれた診療所が幽鬼のごとくその中に佇んでいる。
突如、真っ赤な塊がその戸をはじくように飛び出してくる。
それは迷うことなく鬱蒼と生い茂る森の中へと走り去る。
一瞬の出来事だった。
雨に洗われたその塊は……


(9:00AM)―北の森―

二人の老人が森の中にいる。
一人は茂みの前に隠れるようにしてかがみこんでいる。
もう一人は少し遅れてきたのか、その男に張りのある声で呼び掛ける。
「ヘル野武彦、そんなところにしゃがみこんで何をしているのかね?」
野武彦と呼ばれたつれあいは唇に指を当てると声を潜めて言った、
それもダクダクと涙を滝のように流しながら。
「エーリヒ殿、今しばらく静かにしてはくれまいか。
今若き男女が愛を語らっておるのじゃ。
それを邪魔だてするのはあまりに無粋。」
そういって魔窟堂が再び向き直る、
しかしそこに睦みあっていた二人の姿はすでになく、
彼らのものであろう二つの鞄だけが残されていた。
(おかしいのう、さっきまで――)
不審に思う暇も有らばこそ、
がさっ、すぐ隣の茂みがゆれ、その少年が姿をあらわす。
「覗きはあまり感心しないなぁ。
二人とも両手を頭の後ろで組んでくれるかい?」
人当たりのよさそうな笑み、しかし隠そうとしてもにじみ出る苦痛を
その端正な顔に湛えて少年は立っていた。
このような状況にも関わらず魔窟堂はその突然の出来事よりも
少年の持つエモノに心を奪われている。
(おお、あれはイタリアのフランキ社が開発したコンバットショットガン、
確かS.P.A.S.12-S・3S+Mと言ったか?
無骨ながらも野性味と精悍さを感じさせる見事なフォルムじゃ…)
そして相変わらず彼はダクダクと涙を流していた。


それより少し前のこと、
老木の下に寄り添う二つの人影、
一人の少女と一人の少年。
突然の来訪者と残されたものを間に挟んで座り込んでいる
「さっきの続き、しようか?」
穏やかに問い掛ける。
少女が頬を赤らめ視線を泳がせる。。
木漏れ日の下、互いの瞳に互いの姿を映しあいながら無言で見つめあう二人、
互いの吐息を感じられるほどに顔を寄せあい、
今しも二つの唇がその境界を失おうという瞬間、翼は小声で囁いた。
「双葉ちゃん、残念だけどお客さんだよ。」
「え……?」
その言葉が届いているのかどうか、
双葉はまだ夢見るようなとろんとした目をしている。
対照的に翼は周囲に気配を探り
茂みの向こうでの動きを推し量る。
(一人…いや、二人か。)
先ほど感じた気配は一つだったが、
合流したのだろうか今やそれが二つになった。
しばらくしてこちらへの注意が薄れた瞬間、
双葉をかき抱き傍らの火器を掴み取る。
途中の小さな茂みに双葉を隠れさせ、
一人その向こうに踊り出る。
「覗きはあんまり――――


翼は銃口を向けたまま二人の真意を探ろうとする。
一人は何故か涙を流してはしきりに頷いている。
もう一人は背筋を伸ばし、直立不動の体制だ。
そのとき、やにわに涙を拭いながら老人が喋りだした。
「なぁ、少年。儂の名は魔窟堂野武彦、
一人のおたくとして逃げも隠れもせんよ。こっちは…」
「エーリヒ・マンシュタイン、ドイツの軍人だ。
その名誉にかけて君に危害を加える真似はせんと誓おう。
…それとも君はこのゲームに乗った口かね?」
いささか挑戦的な口調で問い掛ける。
「違うならその物騒なものを下ろしてわれわれの話を聞いてもらいたい。」
一時の沈黙と逡巡、そして口が開かれる。
「OK、信じるよ。こっちも…そろそろ…」
そういうと翼は膝をついてしまう。
「星川ッ!」
少女が茂みから飛び出してきて少年に駆け寄る。
「…双葉ちゃん、さっきの続きは…またあとで…、ね。」
「…バカッ」


午前中であるにもかかわらず森の中は薄暗い。
いま二人の老人の肩を借り、翼は病院へと向かっている。
そこにはこのゲームを覆すべく集まったものたちがいるらしい。
中には一人傷を癒す力を持つ少女がいるという話だ。
「…それにしても、危地にある少女の身代わりになって
負傷するとは『王道』じゃな、ホッシー君。」
相変わらず涙を流し、しきりに頷いている。
エーリヒと名乗った老人は黙々と歩を進めている。
その後ろをショットガン片手に双葉が従っている。
そうして赤く爛れた星川の背中を見てはため息をついている。
やがて森を抜け、小さな建物が目に入る。
「ここがわれわれの本陣だ。」
エーリヒは簡潔に一言でそのように告げた。


目が醒めてはじめに眼に映ったもの、それは見知らぬ天井。
はじめに耳に入ったもの、それはさぁっという静かな雨音。
「目ぇ、覚めたの?」
「ああ、おはよう、双葉ちゃん。」
そういって体を起こし、やわらかく微笑む。
つられて双葉もやわらかく微笑んでしまう。
「しばらくこの部屋を使わせてくれるって。」
「ン…」
ひとしきり部屋を見渡す。
「神楽さんたちは?」
「あんたの治療が終わったあと、
あっちの部屋で待機してるって言って出て行ったわよ。」
翼は再びベッドに体を横たえ、天井を見ている。
それを見ている双葉は何かいいたげにそわそわしている。
そんな彼女をほうを見て、
「さっきの続きをお望みなのかな?」
双葉の顔が瞬時に朱に染まる。
ボッという音が聞こえてきそうだ。
「はぁ?あ、あんた何いってんの、そ、そんなわけないじゃない!!」
「…ホントに?」
悪戯っぽく問い掛ける。
双葉が何か言い返そうと口を開いたとき、
不意にドアが開きエーリヒが部屋に入ってきた。
不吉な訪問者のことでも考えているのだろうか、
後ろには不安そうな顔をした神楽と遥が従う。


「…ふむ、なるほど、ではその「目貫」という能力で
君は双葉殿の首輪を破壊したというわけか…」
「では…では、私たちにお力添えいただけませんでしょうか?」
神楽が幾分身を乗り出して問い掛ける。
その後ろで遥がその大きな瞳に期待と不安を湛えてじっと見ている。
考えるまでもなく、答えなどすでに出ている。
「もちろん♪」
神楽の手を取り、遥に微笑みかける。
「な〜に鼻の下伸ばしてんのよ。」
ベッドの反対側に座った双葉が背中越しに悪態をつく。
「…やきもちはみっともないよ、双葉ちゃん?」
「誰がっ!」
「取り込んでいるところ申し訳ないが善は急げという、
早速だが星川君、まずは私からお願いできるかな?」
OK、そういって星川はベッドを降りる。
双葉からアイスピックを受け取り、エーリヒに相対する。
そんな二人を尻目に双葉は所在なげにショットガンをいじっている。
「少し顎をあげてもらえますか?…OK、行きますよ。」
星川の目が真剣なものに変わる。
ヒュッと一息吐き出すと利き腕を一閃させる。
ピックの先端は過たず首輪の破砕点を突く。
……はずだった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
誰のものとも知れぬ悲鳴が病院中に響き渡る。
ゆっくりとエーリヒの体がくず折れる。
この老人のどこにこれだけの血液が流れていたのだろうか、
そう思わせるほどの血が壊れた蛇口のような勢いで噴き出す。
瞬時にして病室は血の海になった。
血の海どころではない、床は言うまでもなく天井から壁紙の剥がれた壁まで、
この部屋で彼の体液を浴びていない場所などない。
「…ぁ………」
目の前の光景に遥は気を失い、床に倒れこんでしまった。
そんな中、まともに降りかかる返り血を厭うこともなく、
たった今人を殺めた本人は呆然として立ち尽くしている。
「どうして……」
一言そういうのが精一杯だった。


(11:35AM)―病院前―

霧雨の中、病院というよりは診療所といった趣の我らの本陣まで
あと少しというところまで迫ったとき、
パァン、
何かが破裂したような乾いた音、続いて耳を劈くような悲鳴。
「!」
私は全力で走り出した。
建物入り口の壁に張り付き、耳を欹て中の様子をうかがう。
誰もいないことを確認して突入する。
ある部屋の入り口から止め処もなく赤黒い液体が溢れ出している。
おおかた頚動脈をやられたのだろうとあたりをつけると、
足音を殺して件の部屋へ近づく。
隣の部屋の戸をガチャガチャと動かしているものがいる。
私は誰かが閉じ込められているかもしれないという懸念を捨て、
気配を消すことに神経を集中させる。
首だけを出し、慎重に室内の様子をうかがう。
部屋の中央に位置するベッドの横に
文字通り頭からつま先まで余すところなく血に濡れた少年が立っている。
手には短い棒状の何かを握っている。
(あれが、敵…か)
ナイフを握りなおし、目標めがけて走り出す。


部屋に飛び込んだアインは躊躇することなく「敵」へと突撃する。
「待ってください、この人は…」
彼女を認めた神楽が間に入ろうとする。
「チッ!」
立ちはだかろうとする神楽に当身を食わせ昏倒させる。
そしてなおも速度を落とすことなく一直線に敵へと走りより、
その無防備な背中――その心臓の真上――に鋭利な切っ先を突き立てる。
「…まずは、一人。」
敵は声もあげず絶命した。
次の標的は…ベッドの向こう側で放心しているショットガンを持った少女だ。


「え…?」
眼前で起こった一連の出来事に双葉の心は麻痺しようとしていた。
目の前でエーリヒと名乗った老人が死んだ。
そして、あとから部屋に入ってきた女が、星川を、殺した?
どうして?   
「星川ッ!?」
頭の中が白んでいくのを感じる。
敵、星川、血、ナイフ、神楽、老人の亡骸、
ゲーム、ゲーム、ゲーム、殺人ゲーム、
…彼女の手の中にはショットガン。
ベッドを迂回して一直線に近づいてくるものが目に映る。
たった今、星川を殺した女だ。
あれは、敵だ。
双葉は敵にショットガンの銃口を向けた。


標的に接近しながら、アインは敵の分析を開始した。
(あの構え方…素人か?それとも素人を装ってる?だとしたら何のため?)
ベッドを挟んで対峙している少女の持つ揺れる銃口が向けられる。
こんな狭い空間で打たれたら逃げ場はない。
敵に向かってベッドをけりつける。
まともにその衝撃を受けた敵の上体が大きく傾ぎ、銃口が上を向く。
そして、そのまま発射される。
(…仕留める。)
さらに加速する。
しかし彼女は一つの誤算を犯した。
あるいは一つの不幸というべきか。


ぶれる銃口から放たれた弾丸はそのほとんどが
天井に無残な弾痕を残しただけだった。
しかしいくつかの弾丸がそれを掠めたのだろう。
パァン、蛍光燈が爆ぜる派手な音がする。
(しまったっ!?)
アインの目にはそれが降り注ぐ幻想的な光の粉に見えた。
時間が引き延ばされたような瞬間、破片のひとつが彼女の目に映る。
映画の中のスローモーションのようにそれは舞い落ちてくる。
非現実的な美しさを伴って。
「くっ!」
思わず顔を伏せ、目のあたりをおさえ立ち止まってしまう。
破片は彼女の左の眼に突き刺さり、永久に光を奪った。
ガシュコンッッ。
軽快な音をたててフォアグリップがスライドする。


そしてアウターバレルから銃弾が放たれようとしている。
今度はあやまたず、アインの方にその銃口が向けられている。
その気配を察したのか、アインは胸中で舌打ちする。
(二度の失敗は期待できない、か。)
唯一のスペースであるは右前方に飛ぶ。
いまや左は完全に死角である。
そして敵は左側、部屋の隅で照準を合わせているのだ。
状況は芳しいものではない。
暗殺者としての勘に一縷の望みを託し、
スペツナズナイフのスイッチを押しこむ、
敵がいるであろう方向に向けて。
「んぁぁぁぁぁあああああああっっっッッ」
魂も凍らせるような叫び声、
そして銃声がほとんど同時にアインの耳に入る。
次の瞬間、もんどりうって彼女は吹き飛ばされる。
被弾した右半身が焼けるように熱い。
(右肩に二つと右太股のは良いとして脇腹で止まったのは、まずい……)
そのようなことをぼんやりと考えながら、彼女の意識は急速に薄れていった。
ごとりと何かが床に落ちる音が聞こえた気がする。


藍の付き添いをしていた魔窟堂は焦っていた。
隣の部屋から聞こえるはずのない破裂音が聞こえたからだ。
ドアのノブをガチャガチャとやってみるが開かない。
「さっきの地震のせいかのう、しかしこんなときに…」
そんな魔窟堂を藍は心配そうに見ている。
ドアの外に人の気配がする。
やがて隣の部屋から今度は銃声が聞こえてくる。
それも二度。
「あー、まったくどうなっとるんじゃ。
友の危機に駆けつけるのがヒーローの本道だという…の・・・にっ!?」
先ほどまで頑として開くことのなかったドアが突然開いた。
力任せにドアを押していた魔窟堂は
その勢いそのままに廊下に出た瞬間、
真っ赤な何かとぶつかりは倒れてしまった。
しかも運の悪いことにその際にしたたかに後頭部を強打してしまい、
そのまま気を失ってしまった。


森の入り口、強まる一方の雨を気にすることもなく少女は木に寄りかかる。
左肩が別の生き物であるかのように小刻みに痙攣する。
「くうぅっ」
痛みをこらえ深々と刺さっている金属片を抜き取る。
雨でぬかるんだ土の上にそれを音もなく投げ捨てる。
まわりは水であふれているのにひどく喉が渇く。
今まで感じたことのない、たとえようもないほどのひどい嘔吐感。
時間も空間も奇妙にゆがんで間延びして感じられる。
(…星川ぁ………)
やがて薄暗い森の中をあてどもなく走りだす。
何度となく地面から露出した木の根に足を取られる。
(星川、星川、星川……私…)
やがて、彼女の足は止まった。


(??????) ―森―

大洋に浮かぶこの島の森の中の朽ちたる巨木の洞の中、
己の華奢な両肩を抱くようにして双葉は震えている。
右の肩から夥しい血が流れ、雨に打たれてしとどに濡れた彼女のシャツに赤が滲む。
そんなこともまるで意に介さず、虚ろな視線を宙に泳がせる。
その表情には今は全く生気が感じられない。
(そう…守ってくれるの…)
木の葉が揺れる。
まるでそのとおりだと言わんばかりだ。
(ありがと…)
そういって静かにまぶたを閉じる。
巨木の周りに無数の蔦が絡みつき、
茨が幾重にもかの洞を鎧うように生い茂る。
そのようにして、
おとぎ話のねむり姫さながらに、
彼女は、洞の内にて閉ざされる。
外の世界には、ただただ静かに、ただただ物憂げに
やむ気配も見せず細やかな雨が柔らかに降りそそいでいる。


死亡:【No.11 エーリヒ・フォン・マンシュタイン】【No.18 星川翼】
―――――――――――――――――――――――――――――――残り27人。



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