ざおざおのカレーと最狂の悪夢

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(1日目 11:21)

海は、荒れ模様だった。
 ざざーーーーん、どぱぁぁん!!
 ざざーーーーん、どぱぁぁん!!
透明度が高く、見事な青色をしている水面は、テトラポット周辺で、恐ろしいほどの波涛を立てている。
しかし……そこからは潮の匂いがしない。
『潮の匂い』と我々が普通認識しているものの半分は、実は屍臭だ。
海は多くの生命を育み、またその生命を死を常に抱きとめている。
そして、その死が数多の生命を養う。生命の円環。
それが、感じられない。
清潔だが、生命の豊穣を感じさせない、海。

「造られた海……」
防波堤の先端。遥か彼方に霞む水平線を見やりながら呟いたのは、まひる(No.38)。
「んー、なんだって?」
波の音にかき消されて、まひるの呟きは届かなかったようだ。
「あ、独り言なんで、気にせずに。」
「そっか。」
「で、あなた。鯛の御造りは?」
「あなたはやめろ。」
釣り糸を垂れたタカさん(No.15)は不機嫌そうに言う。
糸を垂れてから2時間。今だ浮きはピクリとも動いていない。

その脇では堂島(No.07)……『薫ちゃん』が、小冊子を地面に広げ、寝転がりながら読んでいる。
「すっげー。かっきー!」
目をキラキラさせ、興奮に頬を赤く染めるその様子は、初めてプラモデルの組立書を読む子供のようだが、
実際はそんなのどかなものではない。
「んーと……全長508mmの66mmHEATロケット弾が初速145m/秒で……」
彼が手にするそれは、今大会最大の破壊力を持つ配布武器、M72A2の取扱説明書だからだ。
難解な横文字で記されているこの取説は、子供の読解力では読めるものではない。
それを、薫はすらすらと読んでいる。
タカさんやまひるは気付いていないが、彼の心は退行していても、知識量は老獪な元代議士のままだったのだ。
子供の好奇心と大人の理解力を併せ持つ彼にとっては、難解な兵器も単純構造のオモチャ同然だ。


タカさんとまひるは、まだ言い合いをしていた。
傍目にはカップルがいちゃついているようにも見える。
「やつらの動きが活発になるのは、日が沈んでからだ。
 日中は釣れないモンだと、相場は決まってんだよ。」
「負け惜しみ?」
「うるさいッ!!
 アタシの腹が減ってるから、魚がかかんねぇんだ。
 まひる、ウチに戻って、昼飯作って来い。」
イラだっているタカさんには、理由も理屈も通じない模様だ。

ウチ、とは漁協の詰め所を指す。
2時間前、港についたタカさんがまず探したのが、この建物だった。
漁師が入出漁の度に報告を入れ、休憩や仮眠を取り、しけの折には港番のため宿泊する施設。
そこには生活に必要なものが一通り揃っているだろうし、ともすれば生活拠点になりうる。
そう判断してのことであり、その予想は当たっていた。
外観は古びたバラック造りの平屋だが、その中には生活に必要な全てが揃っていた。
20畳ほどの居間に、仕切りすらなく流しとガスレンジが備え付けられており、
便所と風呂も備わっている。
今、タカさんが使用している釣具一式も、ここから探し出したものだ。

「昼ごはん……」
なぜかまひるの顔色が悪くなる。
「流しの下に、野菜とか調味料があったろ?
 肉がないのはもの足りねぇけど、まあ、適当に見繕ってくれや。」
「実は……折り入ってお話が。」
「なんだ?」
「でへへ……えと。あたし、お料理って苦手だったりして。」
笑顔で誤魔化そうとするまひるだった。


「ほんとにもー。タカさんは強引なんだから。」
すったもんだの押し付け合いの末、結局、まひるが昼食を作ることになった。

「カレー、ぐらいかな……」
思い出した食材で作れるレパートリーは、そのくらいしかない。
「えへへ。カレー、か。なんかキャンプにでも来たみたい。」
キャンプ。
その言葉が醸し出す日常のイメージに、まひるはタカさんについてきたことが正解だったと強く思う。
そして、ほんのちょっとした悪戯心で始めた家族ごっこも。
「旦那さんの帰りを待って、お料理かぁ……マジで新婚さんみたい。
 でへへへぇ? がんばってざおざおに作るぞー!!」
1人で照れ笑い。
自分の性別が『男』であることが発覚してから、『かわいいお嫁さん』というささやかな夢を
諦めざるを得なかったまひるにとっては、こんなおままごとでも幸せを感じるようだ。

しばし、幸せな妄想に浸っていた彼の目に、漁協詰め所が映ったとき、
「ピンクのパーカー。白のミニ・フレアにニーソックス。
 化粧は、薄く引かれたパールのリップのみ。……いい。実にいい。」
建物の影から、顔色の悪い青年が、彼の行く手を遮るように現れた。
(何故に必勝はちまき?)
まひるがその思いを口にしようとしたとき、
 とす。
首筋に衝撃を感じた。
……暗転。

「で、紳一。コイツは処女か?」
気絶したまひるを担ぎながら、学生服の詰襟を几帳面に閉じた少年が問う。
「うーん、難しいところだ。印象は明らかに処女なのだが、私のカンは疑問符を発している。」
オーダーメイドのスーツに身を包んだはちまきの青年が、難しい顔をして答える。
それはそうだろう。まひるは処女ではなく、童貞なのだから。
真人(No.17)と紳一(No.20)。
2人は暗くて淫靡な笑みを交わしながら、その場を立ち去った。


現場から、少しだけ離れた建物の陰で、薫は苦悩していた。

取説の解読に夢中になっているうちに、まひるが『ウチ』に戻ったことに気付いた彼は、
タカさんと2人でいる恐怖に耐え切れず、まひるを追いかけて来たところ、
白昼堂々の誘拐劇を目撃してしまったのだ。

(おかーたま!!)
衝撃の現場に踏み込もうとして、薫は思い留まる。
相手は2人の大人。対する自分は、1人だけで、しかも子供。
大人の理性は、こんなところでも有効に機能した。

薫は必死で頭を回転させ、解決策を練る。

(M72A2を……)
ダメだ。
余りに破壊力が大きすぎるそれは、2人の男はおろか、まひるまで跡形も無く吹っ飛ばしてしまうだろう。

(おとーたまを呼んで……)
それも、ダメだ。
タカさんが釣り糸を垂れている堤防の先端まで、600b近くある。
たとえジンジャーに乗って戻ったとしても、往復する間にまひるを見失ってしまうだろう。

(大声で呼べば……)
それも、ダメだ。
自分の存在が気付かれてしまうし、激しい波と風の音に、声はかき消されてしまうだろう。

薫の焦燥と苦悩を他所に、まひるを担いだ二人組みは西へと立ち去ってゆく。
(おかーたま、どうしたら……)


(11:57)

「なんだ、このおもちゃは?」
真人は、まひるのポケットから落ちたグロック17を手に取ると、そう呟いて投げ捨てる。
銃身の殆どがプラスチック製のこの銃は、銀玉鉄砲と同じくらいの重量しかない。
銃器の知識が無い彼らが、それをおもちゃと思い込んでしまうのは、意味当然といえた。
「私たちは、悲しいくらい武器との縁が無いな。」
紳一が愚痴をこぼす。

ここは漁具倉庫。
漁協詰め所からは港を挟んで正反対の位置にある。
今、獲物は後ろ手に縛られ、猿轡をかまされ、水揚げされたマグロよろしく床に転がされている。

「1つ聞くが……君は、処女か?」
気絶から覚めたまひるに、最初に投げかけられた言葉はこれだった。
「これは重要なことだ。返答次第で、君のいたぶり方が決まる。」
混乱している彼には、質問の内容が理解できず、ぼーっとしていると、
「セックスをしたことがあるかって聞いてんだ!!」
真人のバスケットシューズの先端が、容赦なくまひるの鳩尾に蹴りこまれた。
「ぐっ!! が、はっ!!」
猿轡のせいで声を上げることも出来ず、悶絶するまひる。
「おいおい真人、前座の余興で壊してしまっては勿体無いぞ。」
「安心しろ、紳一。暴力のことは俺のほうが良く知ってる。壊すようなケリじゃねえ。
 で、どうなんだ?セックスをしたことはあるのか?」
椅子に腰掛け、歪んだ笑みを浮かべ。
左脚をぶらぶら揺らしながら、真人は再度尋ねる。
足の動きは、無言で語っていた。答えなければ、また蹴ると。
 ふるふるふるふる……
まひるは恐怖の余り、何度も何度も首を左右に振る。
「そうか。」
2人は、同時にそう返した。真人は嬉しそうに。紳一は少し悔しそうに。
「俺の出番ってことだな?」
「約束だからな。青い果実のわななきを、存分に楽しむといい。」


「それじゃ、準備、準備、と。」
まひるの猿轡を強引にひっぺがす真人。
「声を上げたら、私の銃が火を噴く。君のようなオモチャじゃない、本物の銃が。」
紳一の手には、黒々と不吉に光る銃が握られていた。
パーティーガバメント。
その銃口から噴くのは火でも銃弾でもなく、万国旗だ。
だが、グロック17とは打って変わって実にリアルな造詣と重みを備えたこのオモチャは、
知らぬものの目には本物の拳銃にしか映らない。
「わかっていると思うが……私たちは、君を犯そうとしている。」
他人事のように、感情を乗せることなく紡がれる紳一の言葉。
「己の欲望が赴くままに、君の体に思うさま排泄しようとしている。」
それが却ってまひるの恐怖心を刺激する。
 きゅー……
睾丸は萎縮し、腹部に埋没してゆく。

彼が恐れているのは、犯されることではなく、殺されることだった。
この2匹の淫獣は自分のことを『女』だと思い込み、情欲にもだえている。
それが……その対象が『男』であることが発覚したらどうなるだろう。
性のエネルギーが怒りに転嫁され、なぶり殺しにあうのではなかろうか。
「許して下さい……」
涙を浮かべ、懇願するまひる。
「口で満足させたら、処女を奪うのは許してやろう。」
真人は、予定通りの酷薄な笑みで以って、そう答え、
 じじじじじ……
ジッパーを下ろす。
見事に反り返った醜悪な凶器が、まひるの眼前に突き出された。

(タカさん……助けて!!)
まひるは涙の溢れる瞳をぎゅっと閉じ、ゆっくりと口を開いた。



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