グレン様の災難 【火難〜水難〜女難】
火難
(一日目 9:48 森林)
「あ〜〜〜あ〜〜〜あああぁぁぁぁぁっっ!!」
森林の中、謎の物体が雄叫びをあげて飛んでいる。
否、正確には凄い勢いで木から木へと飛び移っているのだ。
どことなくジャングルの王者ターザンを彷彿とさせる勇姿であった。
―――もっとも、その雄叫びはあくまで悲鳴だったのだが。
「ええいっ、何と言うしつこさだっ!」
グレン・コリンズ(No,26)は前方の枝に触手を伸ばしつつ後ろを
振り返った。
彼の数10m程後方に、相変わらず例の火球は存在していた。
障害物の多い森林に逃げれば避けきれると踏んでいたが、それは
甘かったようだ。
どうやらあの火球はグレン自身を認識しているらしく、きちんと
障害物を避けてこちらに向かってくる。
幸い、最高速度こそあるものの方向転換に弱く減速が遅かった。
だからこそ体力にそれほど自信の無いグレンでもなんとか逃げられて
いたのだが……流石にそれも限界のようであった。
「ゼエ、ハァ……くそっ!あの既知外め!私は何もしないと寛大にも
言ってやったというのに!!」
言ってない。
その時、突然前方の視界が開けた。
その先には数件の家屋が見える。
「……村落かっ!?」
まずい、非常にまずい。
グレンの触手はあまり高速移動には適していない代物である。
だというのに、ここから先はまた走りで勝負せねばならないのだ。
あの疲れ知らずの火球と限界のコンディションで。
「……おおぉぉぉのぉぉれぇぇぇぇっっ!!」
絶叫しつつグレンは着地し、全力で走り出した。
「あああああああぁぁぁぁっ!!」
自分の限界以上の体力を叫ぶことで強引に引き出そうとする。
「エンドルフィンよ!アドレナリンよ!!我に力をぉぉぉっ!!」
その祈りが通じたのだろうか?
グレンは一瞬の内に体が軽くなった事を実感した。
駆ける触手達に至ってはまるで空を飛ぶが如くである。
「ふ……ふははははぁっ!!見たかっ!私はまた己の限界を越え、
更なる領域へと達したのだっ!!これこそが神の力あぁぁっ!!」
ここぞとばかりに勝ち誇るグレン。
だが……何かがおかしかった。
水難
幾ら触手を動かしても、一向に風景が変わらないのである。
先ほどまで感じていた風圧も嘘みたいに止んでいる。
後ろを振り向いてみる。
例の火球はグレンの至近距離まで接近していた。
―――嫌な予感がした。
「……………まさか」
ゆっ……くりと真下を見る。
井戸。
「!!!……なああああぁぁぁぁぁぁ………」
悲鳴と共に落下してゆくグレン。
着地地点に井戸がある事に気づけなかったのは、視点の高いグレン故
の悲劇であったと言えるだろう。
更にその一瞬後、ぽんっと音を立てて火球は消滅した。
ちょうど魔法の効力が切れたのだ。
………どぽーん………
かくして静寂を取り戻した周囲に、水音のみが響いた。
(10:12)
一時間が経過した。
「くぬっ!くぬぅっ!?……ダメ、か……」
必死に伸ばしても触手が井戸の縁に届かないことが分かり、グレンは
ぐったりと首を下げた。
が、
「(ゴボッ)げほげほげほっ!?」
鼻に水が入ったので慌てて首を上げた。
現在、グレンは水面からかろうじて首のみが出ていた。
その下ではクラゲのように触手がゆらゆらと揺れている。
「うむむむむ……」
渋い顔で現状を再認識する。
苔の生えた壁面は非常につるつるしており、爪も無い触手では滑る
ばかりであった。
井戸のつるべを登ろうとも考えたがこの井戸は滑車は使っておらず、
外に置かれた桶を下げるという単純な仕組みのようだ。
故に今は一本の紐も下がってはいない。
そしてさっき、触手が上に届かない事も確認した。
せめて体力が万全な時ならば伸ばすことも可能だったかもしれない。
だが、火球に追われつづけて疲労困憊している現在の体力では……。
女難の壱
「グレン・コリンズよ、今は耐えるのだ……!」
自分に言い聞かせるようにグレンは呟いた。
「お前がやろうとしている事は確かに屈辱的だ。だが、明日の栄光を
望むのならば今日の誇りを敢えて捨てようではないか……!」
そう重々しく言うと、グレンは大きく息を吸い込み―――
「おぉぉぉ〜〜〜たぁぁぁ〜〜〜すぅぅぅ〜〜〜けぇぇぇ〜〜〜!!」
―――全力で助けを呼び出した。
「助けてくれぇぇ〜〜〜っ!もし私を助けたならば恩に感じてやらん
事も無いと思えぇぇ〜〜〜っ!!」
謙虚なんだか傲慢なんだか分からない悲鳴である。
「かぁ〜〜みぃ〜〜さぁ〜〜まぁ〜〜!……は私か。ええい、私より
偉くは無いけどそれなりに力のある……!」
その時、上で声が聞こえた。
「……誰?どこにいるの!?」
若い女性の声だ。グレンは今にも出かかった情けない声を引っ込め、
彼にできる精一杯の渋い声で答える。
「い、いやははははは!ここだ!井戸の中を見るが良い!!」
数秒後、一人の影がひょこっと上に現れた。
逆光で顔は分からないがスーツ姿のようだ。
「……なんでそんな所に!?」
「フッ、ちょっとした事故でねぇ」
呆れたように言うその人影に、グレンは少し意地を張って答えた。
「事故って……」
「まあそれよりもお嬢さん、頼みがある。私をここから出してはくれないかね?
そこにつるべがあるだろう?それを落としてくれればいい」
「……………」
人影は迷っているようだ。まあ、無理も無い反応である。
しばしの間を置いて、人影が言った。
「悪いけど……完全には信用できないわね」
「何!?」
「罠にしては露骨すぎるけど……本当に井戸に落ちたとも思えないわ」
「ななな……何と無礼なっ!!この偉大なる私が嘘を言っているというのか!?
このグレン・コリンズ、生まれてこの方嘘をついたことが無いのが自慢なのだぞ!」
正確には「嘘が言えるほど賢くない」なのだが、堂々と言い放つ。
その時、人影の態度がにわかに変わった。
驚きと期待が入り混じった声で尋ねてくる。
「グレン!?本当にグレン・コリンズなの!?」
「え?あ、ああ。人類開闢依頼の大天才にして偉大なる科学の申し子!新世界を司る
偉大なる神!!グレン・コリンズとは私の事だ!!!」
少々戸惑いつつも誇らしげに答えるグレン。
一方の人影は、今度は何やら考えを巡らせているようだ。
「……その口調、確かに本物のグレン・コリンズね」
「だから私は嘘をつかないと……!」
「……分かったわ」
「へ?……フッ、フハハハハ!!わ、分かれば良いのだ!!さあ、早くつるべを私の所まで……」
「でも、交換条件付きよ」
女難の弐
『交換条件』その言葉で、グレンの表情が一瞬にして不安に染まる。
「交換……条件だと?」
「今、私は例の首輪を一本持っているの。―――自分の奴以外でね。
それを分析して、解除法を発見してほしい。それが条件よ」
「……ふむ」
それはグレン自身にとっても損ではない提案であった。
彼の最終目的は『グレン・スペリオル・V3』よる脱出だったが、その為には仲間が
必要だった。
特にあの忌々しい既知外魔術師が灯台に居座っている以上、弾除け役は必要であろう。
更に(上のあの女がどこまで本気かは知らないが)あわよくば首輪を解除できるかも
しれない。
自分の首に嵌っている為に分析は諦めていたが、自由に扱える奴があるなら話は別だ。
『グレン・スペリオル・V3』に搭載されている機材や突入角計算用コンピューター
が上手く稼動してくれれば十分に可能であろう。
ただし、一つだけ問題はあった。
彼は人の下に就く事が大嫌いだったのである。
「ふっ、ふははははははっ!見損なうな小娘っ!!このグレン・コリンズを下僕に
してこき使おうなどとは無礼千万奇妙奇天烈落書無用!!とっととどこかに行って
そこらの男でも犬にするが良いわぁっ!!!」
「………そうね、そうするわ」
「……へっ?」
「別に分析ができるのはアナタだけって訳じゃないし。それじゃ、別の人が通りかかる
までそこで水に漬かっててね。……もっとも、次に来る人は問答無用でアナタを殺すかも
しれないけど」
そう冷ややかに言い残すと、女は井戸から早足に立ち去ろうとする。
「まっ、待て待て待てっ!」
思わずグレンは彼女を呼び止めた。
「ん、まだ何かあるの?この無礼千万な小娘に?」
「えー、いや、その、なんだ。私はこう見えて寛大な紳士だ。今の君の発言は大目に見よう」
「………それで?」
「いやっ、だからだな、あー……さっき君の言った話に……乗ってやらん、こともない
……こともなくもなき感じで……だな……」
「………つまり?」
「うー、やー、たー……わ、私を助けさせてあげようではないか!」
女難の惨
「………『お願いします、協力しますから助けて下さい』」
「なっ!?」
「………制限時間は3秒」
「ぐっ、ぎっ、貴様ぁっ!!」
「ちなみに今度は迷わず去るわよ。―――3」
「小娘ぇっ!!見ておれよっ!この私が本気になったら貴様など……!」
「―――2」
「ぬっ、ぐぐっ……!!」
耐えるのだグレン・コリンズ!「あしたのためにその1」だ!!
「き、協力してやるから助けるが良い!!」
「―――1」
「んぎぎぎぎっ……!!」
「―――はい」
「……お……『お願いします、協力しますから助けて下さい』」
「はい、よろしい。いまつるべを降ろすわ(カラカラ)。
―――まだ名前を言ってなかったわね。私の名前は法条まりな。よろしくね」
「こ……」
「こ?」
「これで勝ったと思うなぁっ!!」
「―――やっぱりここでお別れみたいね―――」
「……という言葉は私の故郷では最大限の感謝を示す意味で……」
こんな話がある。
動物園の動物達は人間の上下関係を見抜き、格下の飼育員を「なめる」という。
その為、新人の飼育員はまず第一に動物達に自分が上位にいる事を理解させるそうだ。
そうしないと「なめられて」しまい、まともに相手されなくなってしまう。
これは犬の躾にも言える事で、第一にこちらの上位性を叩きこむのが重要だ。
「(とりあえず躾の第一歩は成功ってところかしらね)」
つるべを落としつつ、まりなは考えていた。
油断のならない相手だ、この関係を分析完了までは維持しなくては。
こうして、このゲーム始まって以来の奇妙なチームが結成された。
―――それは春先の薄氷なみの不安定な代物ではあったが。