覚悟とまなざし

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(一日目 08:21)

じゃーーー……

クレア・バートン(No.33)は、濡れたエプロンスカートが肌に張り付くその心地悪さに目を覚ました。
爆発のショックで破裂した蛇口から、水が留まることなく噴き出している。
クレアの周囲は、その水に解けたコンクリート粒子や土台の土でどろどろだった。
(無事……ですね。)
彼女の怪我はかすり傷程度の微々たるものだけだったが、これは偶然ではない。
小屋の崩壊を感じた瞬間、咄嗟に食卓を盾とした機転が、彼女を守ったのだ。
それが証拠に食卓には、数多のコンクリート片が突き刺さっていた。

立ち上がる。
たっぷりと泥水を含んだエプロンスカートがずっしり重い。
その手には、爆破前に愛に手渡された金属バットが、握り締められたままだった。
(しかし、これほどとは……)
『これほど』とは、彼女のゲームに対する認識を指す。
これは、殺人ゲームだ。
そのことをクレアは十分認識していたし、その上で、ゲームに乗るつもりでもいた。
しかし、チェーンソーを扉に突っ込み、小屋を半壊させるほどの戦いとは、思いもしなかった。
(甘かったのだ。)
クレアは下唇をかみ締める。
この惨状。この破局。……これが現実。

クレアはとりあえず小屋跡を脱しようと、歩みだす。
いつ、断面を顕わにする残り半分が崩落しないとも限らないからだが……
「1人はアンタか。」
その声は、クレアの脱出を邪魔するかのように、足元からかけられた。


常葉愛(No.27)の意識は、ナミとの戦いから今に至るまで、痛みと苦しみに耐え抜いていた。
双子を守り抜けなかった(かも知れない)自責の念と、その元凶たるメイド型ロボへの憎しみが、
意識を落とすことを許さなかったからだ。
だから……テーブルの影から姿を現したのがクレアだと分かったとき、彼女はこう言った。
「1人はアンタか。」
意味するところは、落胆。
生存者が3人なら、クレアの無事が確認された時点で、双子のどちらかが死んでいることになる。
「愛さん、ご無事で……」
「おいおい悪い冗談はよしとくれ。この姿のどこが無事だって?」
吐血で真っ赤に染まった顔を自虐に歪め、愛は自分の右足を指差す。
「……!」
クレアはその様子を見て顔を青くする。
重くごつごつしたコンクリ塊の下で、愛の右足はひしゃげていた。その色は暗紫色。
既に壊死が始まっているようだ。
「それに肺もやられてるやね。
 まあ、すぐ死ぬってことは無いが、アンタが助けてくれなきゃ、
 余裕で死ねるってことは確かだ。」
ははは、と乾いた笑い。生死の瀬戸際でも強がってしまうのが愛という少女だ。
「悪いけど包丁か何か、探してきてくれる?……出来れば出刃か肉切りがいい。」
「包丁?」
「アンタの力じゃこのコンクリ、どかせないだろ?
 アタシも情けないことに疲れ果てちゃってさ、ブルマー技使えるほどの元気は残ってないし。
 右足、サクっと切断しようかと思ってね。」


そのとき、クレアはふと気付く。
いや、気付いてしまう。
……手には金属バット。
……愛は動けない。

手には金属バット。
愛は動けない。
「おい……メイド……」

手には金属バット。
愛は動けない。
「なにをボーっと突っ立ってる?」

金属バット。
「おい……」

動けない。
「……アンタ、まさか。」

「私は、生き残る。」


            ば    ギ    !


「ぎ ゃ ぁ ぶ ぅ ぅ る」

クレアの耳には、そんな風に聞こえた。
……愛の搾り出した断末魔が。
バットに弾き飛ばされた愛の頭は、数本の鉄骨が剥き出しになったコンクリ塊に激突。
その鉄骨数本が後頭部やぼんのくぼに突き刺ささり、
真っ赤な鮮血と、生卵をかき混ぜたような色の髄液を撒き散らしている。
クレアは2発目を見舞うべく、バットを振り上げるが……
「………。」
もう、愛は動かない。

クレアが渾身の力を込めて打ち下ろしたバットの先には、淡い栗色をしたものが付着していた。
 ぞ、ぞ、ぞ
それが、ゆっくりと、グリップの方へ……クレアの手元の方へとずり落ちてくる。
赤黒い軌跡を、ナメクジのように残しながら。
「……。」
クレアは、黙ってそれを見ていた。
腕が痺れている。頭も。世界も。全部。
やがて栗色の何かは、バットを握るクレアの手まで達した。
 ぬ"るり。
生暖かく柔らかな感触と、無機質でサラサラした感触とが、同居していた。
そこで、初めてクレアは気付く。
手に触れているもの……
それが、ずるりとむけた、愛の頭皮と髪だと。

「ぅぐおえええぇぇぇ!!!!」
クレアは膝をつき、吐いた。
オートミール、水、胃液、一切合切、ありったけ、全部。
呼吸を忘れるぐらい吐いた。
空になっても、嗚咽は止まらない。
「げぇええっ!げぇええっ!」
涙も。鼻水も。汗も。
人がその顔から流すことの出来る体液の全てを、とめどなく流した。

その苦しみの中で、クレアは実感する。
これが「殺す」ということ。
命を奪うということ。
たった一撃。
その簡単にして、途方も無い重み。
ひとのいのち。

「私は、愛を、殺した。」
私の意志で。
「私は、愛を、殺した。」
私のために。
「私は愛を殺した!!」
私だけの、幸せの為に。
「私はっっっっっっ!!!!!!!」
……嗚咽は、いつしか絶叫へと変わっていた。


(一日目 09:01)

瓦礫と灰燼の中に、動くものは何一つ無い。
いつのまにか、蛇口からの流水は止まっていた。
だから今、ここには音も無い。
それ自体が巨大な墓標であるかのように、ただそこに、静かに在る。

クレアは、一度だけそこを振り返る。
そして、エプロンドレスのポケットから何か小さなものを取り出し、
 ひゅ。
小屋の残骸に向かって、それを投じた。
それは放物線を描き、日の光を反射しながら2秒ほど滞空し、
 ちゃりん。
コンクリの上に、澄んだ音を響かせて落ち着いた。

彼女は、その音を聞くと、再び小屋跡に背を向ける。
迷いのない足取りで歩き出す。

廃墟に残されたのは、コイン。
数時間前、彼女の意志と行動を決定した小道具。
……もう彼女に、それは必要ない。
自分の意志で人を殺し、その事実を乗り越えた彼女には。


しおり

その一部始終を、瓦礫の下から見つめるまなざしがあった。
しおり(No.28)。
しかし、庇護者たる愛の無残な死にも、恩人たるクレアの卑劣な裏切りにも、
彼女は声1つ上げなかった。表情も変わらなかった。呼吸すら乱れていない。

……彼女の心は、凍結していた。
爆発からこちらの全てを、現実だと認識できていない。
小屋が崩れたということ。
体を圧迫する瓦礫の痛み。
最愛の妹・さおり(No.29)が、すぐ隣で死んでいること。
彼女が絶命するまでの数分間、「痛い」と、ネジの壊れたオモチャのように呟き続けていたこと。
徐々に失われていった彼女の体温……『死』を肌で感じたこと。
蝋のような白い顔が、苦痛に歪んだ表情のまま、しおりに向いていること。
……その顔の向きを変えられないこと。
幼い心に、それらを事実として受け入れるキャパシティはなかった。

だから。
その目はカメラのレンズのように、事実のみを映していただけだ。
クレアが愛を、撲殺した。
その事実を。



死亡:【No.27 常葉愛】 【No.29 さおり】
―――――――――――――――――残り32人。


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