グレン様の受難
ランス一行が灯台に到達する数時間前……。
(一日目 8:52 森の東端の樹木)
「……くか〜……すぴ〜……むう、もう食えぬ……」
往年の漫画ですら使わないような古典的寝言を言いつつ、グレン・コリンズ(No,26)
は眠っていた。
「うう……違うよヘンリー……給食袋盗んだのは僕じゃないよ……!」
……何やら過去のトラウマが蘇っているようだ。
「あー、おじいちゃんがおじいちゃんが」
ぴちょん。
その時、木の葉に乗った朝露が一粒グレンの頬に落ちた。
「……うう……」
その冷たさに少し彼の目が開けられる、ただし、まだ目覚めるには至らない。
グレンは再び目を閉じると、軽く寝返りを打った……つもりで触手を捻った。
瞬間、
どどどどどっ!
その樹木の全ての葉に乗った朝露が、滝のごとく降り注ぐ。
「どわぁーっ!?」
思わず悲鳴をあげて地面に落っこちるグレン。
木の枝に触手をツタの葉よろしく絡ませて、空中で寝ていたのだから当然である。
「(ごんっ)グハッ!?……ん?もう朝か……」
したたかに額を打ち付け、今度は流石に目が覚める。
既に夜が明けてから結構な時間が経過してしまったようだ。
とりあえずバッグから歯ブラシを取り出し、朝の洗顔を行う。
「(しゃこしゃこ……)全く、昨夜はえらい目に会ったものだ……(しゃかしゃか)
しかし、今日こそはこのグレン・コリンズ様の晴れやかな門出の日となる……!
ふは、ふはははははははははは!!!」
口の端から泡を吹き出しつつ、グレンは眼下に移る灯台を見ていた。
地図を見れば分かるのだが、実はスタート地点の学校と灯台とは意外と近い。
直線距離で1km強と言ったところである。
ましてや現在のグレンの位置からは500mも無い。
では何故、ここまで接近しておいてグレン・コリンズは灯台に行かなかったのか?
理由は極めて単純であった。
―――眠かったのだ。
「全臣民を統率すべき天命を受けたこの私が健康を損なう事は地球規模の損失だ。
このような状況でも、否!このような状況だからこそ日々の生活のリズムを保たねば
ならん!」
―――変なところで真面目な男であった。
ともあれ歯磨きが終わり、朝食を摂る。
今のグレンの位置からは彼の『グレン・スペリオル・V3』は確認できない。
しかし、近づけば近づくほどにその灯台がかつて自分が見たものであるという確信は
深まっていた。
「げふっ……さて、いざ行かん!我が愛しの船よっ!」
小さなげっぷを一つすると、グレンはぬめぬめと歩き出した。
この数十分後、彼はこの睡眠時間の浪費を猛烈に後悔することになる……。
ぺたこん、ぺたこん……。
砂浜を幾本もの触手が粘液を残して進んでゆく。
「確か、あの先に……」
『グレン・スペリオル・V3』の位置を正確に思い出そうとする。
ちょうど灯台の真下。東側の辺りにそれは落下しているはずだった。
「……!?」
その時視界の先で何かが光った。海の照り返しとは明らかに異なる鈍色の反射光。
「くっ、くはははははは!!!あれだ、あれで間違い無い!!」
思わずグレンは哄笑し、更に速度を上げる。
「よくぞ残っていてくれた!我が『グレン・スペリオル・V3』よっ!!さあ、今お前の
偉大なる主が再び旅立つ時だ!我を星の海へと……」
だが、グレンの自慢の口上と歩みはそこで止まった。
……ボゥンッ!!!
彼の足元に火の玉が落下したので。
「……………はい?」
一瞬事態が理解できず、グレンは足元を見た。
ちょうど彼の一番先に伸びている触手から5cm先に、小さな穴が空いている。
直径20cm程のその穴はついさっき空けられたものらしく、焼けた砂がぷすぷすと嫌な
匂いを放っている。
続けて、その火の玉が飛んできた方向を見る。
目の前の灯台、その観測塔の頂上付近………。
そこに一人のぼろ布を纏った男が立っていた。
「……………」
「……………」
しばし無言で見詰め合う二人。
この二人が同じ名を持っていたのは偶然だったのだろうか?
やがて……先に口を開いたのは、灯台のグレンの方だった。
「お……」
「お?」
「お前などにマナを連れ戻させんぞ!妖魔あぁぁぁ!!」
こんな話がある。
ある病気に罹っている人間は、自分と同じ病気の人間を見抜くという。
別にそれが外見で分かる類のものでなくても分かってしまうのだそうだ。
いささかカテゴリは違うかもしれないが、この瞬間グレン(以下グレン「様」)は直感
的に理解した。
コイツはまともじゃない。
この場合、グレン(様)が首のみ&触手という、(グレン以外には)非常にモンスター
的な外見をしていた事も不幸と言えるだろう。
「火の赤子よ!」
そう叫ぶと灯台のグレンは懐から何かを取り出した。
「(……マッチ?)」
グレン(様)が疑問に思う暇もあればこそ、
「行けっ!」
擦ってもいないマッチが突然発火し、そこから小さな火の玉が飛来してきた。
「なっ!?」
あわてて避けようとするが、今度は触手の一本に命中する。
「アチャチャチャチャチャチャホォアッチャァァァ!!!」
故・ブルースリーの怪鳥音を思わせる叫びを上げるグレン(様)。
焼け焦げた触手の先端が香ばしい匂いを放つ。
「まままままま待ち給え君!私には何の事だか……アッチャアッ!?」
更に火の玉が一つ掠める。
「マナは渡さん!絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に!!!」
一方のグレンはうわ言のように呟きつつ次々と火球を放つ。
「ええいっ、ナンセンスだ!魔法とは何と非常識なっ!」
自分の事を完全に棚に上げてグレン(様)は毒づいた。
しかし、今度の火球群は何とかかわす。
流石に4回目ともなると攻撃のパターンが読めてきたようだ。
「(ふむ、最初は驚いて食らってしまったが……弾道は単なる直線ではないか。
これならば……)フッ、フハハハハハッ!!笑止!この程度の攻撃でこの現人神、
グレン・コリンズを倒そうというのかね!?」
グレン(様)的には人差し指に当たる触手でびしっとグレンを差す。
完全に悪役の台詞なのには自覚が無いようである。
だが、次の攻撃は違っていた。
「風の童女よ!火の赤子乗せ彼の者を追い詰めよ!」
ぽんっ!
いままでよりも少し大きい、青白い火球が出現する。陽炎が揺らめいている所から
すると、結構な高熱を放っているようだ。
例によってグレン(様)に向かってくる火球。
「ふはははは!無駄だと言っておろう!」
しかしそれもひょいと避けるグレン(様)。
「だが私は海よりも寛大な心を持っている。君の行為を私は笑って許そうではないか!
さあ、大人しく私をその『グレン・スペリオル……』」
その時、一度は離れたはずの熱気が急速に戻ってくるのをグレン(様)は後頭部に感じた。
「!?」
ほとんど本能レベルで触手を折り曲げて頭を下げる。
一瞬後、グレン(様)の頭のあった位置を先ほどの青白い火球が通過していった。
しかもその火球は通過後ゆっくりと減速し、再びグレン(様)の方に加速してくる。
「………なあああああぁぁぁぁっ!?」
数秒前の余裕を全て吹き飛ばしてグレン(様)は灯台に背を向け、一目散に逃げ出した。
そしてその後を猛スピードで追撃する火球。
「なんで私がこんな目にぃぃぃぃっっ!?」
滝のような涙を流しつつ、グレン(様)の絶叫が響いた。