悪夢と子供
堂島
駅前。夕方。
選挙カーの上に一人の青年がいた。
その青年は初の選挙戦の真っ只中だった。
「来るべき高齢化社会のため、介護保険料の引き上げは必要なことなのです。
弱者の立場を向上させ、社会の底上げをはかりましょう。」
家路を急ぐ勤め人の群れに向かい、選挙カーの上から訴えかける。
先ほどから青年は、妙に粘着質な視線を感じていた。
嘲りと見下しが絡み合った、嫌な視線だ。
(なんだろう、この感じは……)
青年は、その不快感の根源を探す。
……そこに、初老の男がいた。
やや猫背気味に丸めたその体は、年のわりに逞しかった。
四角い輪郭に下卑た笑みと口髭をへばりつかせた、イボの無いガマガエルのような顔をしていた。
その男は青年が自分を見ていることに気付くと、彼に向かってこう言った。
「ヒヒヒ……青臭い小僧だ。
理想や情熱などに振り回されておっては、この世界を渡ってゆけんぞ?」
「そこのお方、ご忠告ありがとうございます。」
野次を軽くいなす青年。なかなかの態度だ。
しかし、初老の男は臆面も無くこう続ける。
「お前は先ほどから弱者、弱者と連呼しているが、
その「弱者」とはいったいどんなものであるのか、分かっているのだろうな?」
「?」
「ヒヒヒ……政界の先輩として、ワシが少し昔話をしてやろう。」
世界は暗転。
雑踏も選挙カーも消え、闇の中、青年は男と2人きりで向き合っていた。
「かつて……
お前と同じように、理想を持って政治家となった男がいた。
彼はその理想を叶えるための助成金を手に入れるため、日々奔走した。
足を棒のようにして駆けずり回り、額に擦過傷が出来るほど土下座を繰り返し、
私財を全て投げ打ってまでワイロを包み。
家庭を顧みないことを理由に妻に家を出てゆかれ、子供を裁判の末に取られ。
理想以外の全てを捨てて、彼はやっと国庫から12億の助成金を引き出した。」
「ワイロはともかく…… 政治家として、彼は非常に正しいと思います。」
「そう。彼は不退転の決意の下、見事初志貫徹したといってよい。
だが…… それに対し弱者は、何と言ったか知っているか?」
「何と言ったのです?」
助成金を利用できぬ者は、『税金の無駄遣いだ』と文句をつけたのだ。
助成金を利用できる者は、『少ない』と文句をつけたのだ。
皆が口々に『公約と違う』『真面目に働け』『有権者を舐めるな』と責めたのだ。」
「……。」
「……それが、お前が守ろうとしている、弱いものの正体だ。
それは、努力せぬ者どもだ。知恵を働かせぬ者どもだ。
雛鳥のように上を向いて口を開け、ただ座して待っている者どもだ。
機嫌を損ねるとぴいぴいと泣くだけの。」
「ですが……」
「そんなヤツらに施しを与える義理がどこにあるのだ?
お前は政治家になることを渇望した。努力した。知恵を絞った。
その成果は、おまえ自身への報酬とするべきだ。
政治家という特権を生かせば、人の意思や命すら左右できるほどの大金を手に入れられるぞ。」
「……。」
「ヒヒヒ……お前はそこらにいる有象無象とは違う。弱者たちを踏みにじる資格がある。
人生の勝利者だ。ワシと同じ、な。」
「そうでもないと思いますが。」
「ほほう、それはどういう意味かな?」
「私ももちろんそうですが……そういうあなただって、弱者ではないですか?」
堂島薫(No.7)は、闇の中でその青年と向かい合っていた。
青年は、彼の威圧感のたっぷりとこもった目線を真正面から受けているにもかかわらず、
物怖じもせずにそう言い放った。
「ヒヒヒ……いっぱしの口を利きおるではないか、小僧。政界を目指していながら、ワシを知らんのか?」
「存じ上げておりますよ、堂島先生。」
「ほう……それを知っていながら、ワシに意見するか。ヒヒ…… 面白い。
少しだけ付き合ってやるから、言いたいことを言ってみろ。
ただし。面白くなかったときは…… 分かっておるな?」
「先生、脅してらっしゃるおつもりですか? ……ならば勘違いも甚だしい。」
「勘違い。」
「ええ、勘違いです。」
「20人以上のボディーガードを抱え、わかめ組とのパイプを持つ堂島と知っておりながら、
なお、勘違いだと言うか。」
「ええ、勘違いですね。なぜなら今のあなたには…… 誰一人付き従っていないではありませんか。」
「なん…… だと?」
「思い出されるといい。ここがどこなのかを。」
「ここは……」
「島、だ。」
……場面転換。
虎の仮面をかぶった男が殺された、あの時のあの部屋に、堂島がいる。
『たったの40人、いや一人死におったから39人か。堂島薫をなめるなよ。』
「おやおや、先生が笑っていますよ。さすがは数々の修羅場を潜り抜けてこられた堂島先生。
命のやり取りなどは恐れませんか。」
「……そうだ。勝つつもりでいた。」
「先生は生粋のサディストですからね。周りの皆が萎縮していれば萎縮しているほど、
やる気をお出しになられるんでしょう。」
……場面転換。
配布された『ジンジャー』に乗り、背後から聞こえてきた一発の銃声に、顔面蒼白となっている、堂島がいる。
『こんなもので、拳銃相手にどう戦えと言うのだ!! 不平等だ!!』
「おやおや、先生が震えておいでですね。」
「……そうだ。震えていた。」
「世の中はなべて不平等。そんなこと、先生はとっくにご承知のはず。いまさら何をおっしゃるのやら。」
……場面転換。
公園の洋式便所に腰掛けながら、必死で己の一物を擦り続ける堂島がいる。
『女なんて調味料のようなものだ適度に楽しみ飽きたら捨てる女なんて調味料のような……』
「おやおや、女教師をいたぶられるときは萎え知らずの先生の一物が、全然大きくなりませんね。」
「そうだ。勃たなかった!」
「恐れの余り萎縮しているご自身の心を、一物に投影されたのですね。勃てば恐怖を克服できると。」
……場面転換。
腹の上で暴れ狂う筋肉の塊に対して抵抗することも出来ず、体を自由にされている堂島がいる。
『ヒヒヒ、ヒィィィ!!ゆ…… 許してくれ……』
「おやおや。先生が泣いていますよ? 泣くことでしか自己主張できない赤ん坊のように。」
「そうだ、泣き叫んでいた!!」
「実際のところ先生は、何を許して欲しかったのですか?
陵辱を? デス・ゲームを? それとも、犯してきた数々の過ちを?」
「……。」
「……これが、弱いものを見下している、先生の正体です。
それは、努力せぬ先生です。知恵を働かせぬ先生です。
雛鳥のように上を向いて口を開け、ただ座して待っている先生です。
機嫌を損ねるとぴいぴいと泣くだけの。」
「違う。ワシは勝利者だ。己の才覚で財を掴んだ。」
「先生はさっき見てきたものを、もう忘れたとおっしゃる?
この島に着いてから、先生は何をしましたか?
得物がハズレだと言い訳して、逃げ、隠れ、萎縮して、泣き叫んだだけで、
生き残るために必要な努力は、何一つしていないではないですか。
これを弱者と呼ばずして、なんと呼びますか?」
「違う。ワシは勝利者だ。己の才覚で財を掴んだ。」
「いい加減認めましょうよ。
結局のところ、先生は拗ねていただけなんですよ。
自分は頑張った。その身を犠牲にしてまで、みんなのために尽くした。
だけど、だれも頑張ったねと頭を撫でてはくれない。
褒めてとねだるには大人になりすぎた。
だったら、周りがバカだということにしておけば、自尊心が保てる。
……実に幼い精神の持ち主だったのですよ、先生は。」
「違う。ワシは勝利者だ!!」
「金の力をご自分の力だと錯覚されていただけですよ。
金を持たない先生に残るのは、根拠のない自信と矜持だけ。
そしてさきほど、その自信と矜持すら筋肉女にズタズタに引き裂かれた今の先生には、
もう何も残っていない。まるで体の大きな5歳児だ。」
「違う!!」
「何度でも言いましょう。先生は子供だ。」
「違う!!」
「先生は子供だ。」
「なにを、わかったような!!」
「わかりますよ。」
「……なぜわかる。」
「なにせ私は…… あなたですから。」
慄く堂島を見下すその顔は…… 若かりし堂島のそれだった。
(一日目 05:58)
「あ、泣いてる?」
朝もやにけぶる公園。
ベンチに腰掛け、未だ目を覚まさない堂島を膝枕している広場まひる(No.38)は、
彼が、幼子のように顔を歪めて涙していることに気付いた。
「ぐ……し。 ヒ、ヒくっ…… ぐっ……」
それは悲しみに流す涙の様でもあり、悔しさに流す涙のようでもあり、
後悔に流す涙の様でもあり、同時に絶望に流す涙のようでもあった。
「大丈夫だよ、大丈夫。ね?」
ぽん、ぽん、ぽん。
まひるは幼児を慰める母親のように、堂島の頭をやさしくなでる。
「なんだかぐずる子供をあやす母親みたいだな。」
ベンチの脇で屈伸運動をしていたタカさん(No.15)は、まひるのその様子を見て、からかい半分に声をかける。
「え?そうですか?……えへへ。」
「母親なんて言われて嬉しいのか?その若さで。」
「うん。将来の夢は専業主婦、だったりしたんで。」
笑顔で、そう答えるまひる。
……鈍感なタカさんは、その笑顔には陰が含まれていたことに気が付かなかった。
そして、見た目にはまだあどけなさすら残る『彼女』が、その夢を過去形で語ったことにすら。
「専業主婦ねぇ…… 俺にはよくわかんねぇな。」
「タカさんは……なんてゆうか、いろんな意味で、男っぽい……か……」
へぷちっ!
可愛らしいくしゃみを、1つ。
見るとまひるはTシャツ一枚で、その細い腕に鳥肌を立てていた。
「まひる、お前、そんな格好してるからだぜ。さっきまで着てたパーカーはどうした?」
黒のタンクトップ一枚でも汗すらその額に浮かべている、タカさんはそう忠告する。
「え? えへ。あたし元気な子だから、ちょっとくらい寒くてもだいじょぶ。
それよりも…… 寝てる間は、体温下がってるから。」
……彼の小さなパーカーは、堂島の腹にかけられていた。
「俺も男臭ぇが、お前もいろんな意味で女臭ぇよなぁ……」
いつのまにか泣き止んだ堂島は、今では安らかな寝息を立てている。
その右手は、いつのまにか頭を撫でていたまひるの左手を握っていた。
彼は、優しくその手を包み返す。
「ん…… む……」
ぱちり。
それに呼応するかのように、堂島が目を覚ました。
その顔には笑み。
彼一流の下卑た笑顔ではなく、誰も見たことの無いような、穏やかな笑顔の堂島が、そこにいた。
誤解を恐れずにあえて表現するならば、それはまひるよりも無垢な笑顔だった。
「おかーたま、おはよ。」
えへ。
堂島は元気に挨拶すると、まひるの胸に飛びついた。