青空を検索する少女
(8:15)
監察官・御陵透子は木造校舎の窓枠に腰掛け、空を眺めていた。
雲ひとつ無い一面の青空だ。
しかし彼女の目に映る世界は、それだけではない。
「すてきなお店の店長さんにゃの」「エックスタシーがやき」「耕一さん……」
「……天敵だょ?」「うおおお、おま○こ、いっちゃう!」「たとえば、AM3:00」
今生まれた思考、過去に生まれた気持ち。
すぐそばで生まれた感情、遥か遠くで生まれた記憶。
彼女の焦点の合わない瞳には、それら全てが形あるものとして映っていた。
思いの数は余りにも多く、互いに押し合い潰しあってかろうじて存在している。
傍目には放心しているように見える彼女は、
それら無数の思いの記憶を、真剣に、丹念に選別していたのだ。
……手のひらに今までは無かった感触を感じ、彼女は検索を中断する。
そこには金属的な手触りに僅かな振動を備えた、輪状のものがあった。
「……仕事ね」
突如現れたそれに眉一つ動かすことなく彼女はそう言うと、
ゆっくりと立ち上がり―――
………。
彼女は姿を消した。
その場には初めから、何も存在しなかったかのように。
ここは学校に程近い、森の中。
(うぅ……これからどうすればいいって言うの?)
16番 朽木双葉は初めてのキスに頭を混乱させ、体を緊張させていた。
いつか白馬の王子様と夢見ていたこの行為は、想像していたものと違って
レモンの味もしなければミントの味もせず、なんとも生々しくて熱かった。
(私の顔、真っ赤になってるんだろうな……お願い星川、目、閉じてて!)
そう思ったとき、18番 星川翼の唇が僅かに動いた。
(……これでおしまいかな?)
双葉は残念なような、ほっとしたような複雑な気持ちになる。
しかし、実際は彼女の予想とは違った局面に移行しようとしていた。
星川の舌が、双葉の固く閉ざされた唇の谷間に割り込もうと動き始めたのだ。
(え!?うそうそうそ!!)
初めてでディープキスはあり得ない。
少女漫画の影響でそう信じ込んでいた双葉には、想像もつかない怒涛の展開だ。
(大人のキスは、大人になってからでしょうがっ!!)
突き飛ばして、そう叫ぼうかと思った。
しかし、膝にも方にも力が入らない。
(え、マジ?ホントにそうなんて嘘でしょお!?)
思考は混乱方面へ一直線。
震える双葉の唇を突破した星川の舌は、彼女の前歯にまで辿り着いていた。
その時―――
「警告対象はNo.16 朽木双葉……」
聞こえてきた声に双葉の金縛りは強制解除されたが、
勢い余って星川を突き飛ばしてしまう。
「やっ!!」
緊張で溜めの効いていた張り手に、思わず尻もちを突いてしまう星川。
「あ〜、双葉ちゃん、調子に乗っちゃってゴメン!」
憎めないウインクを一つ決め、すかさず立ち上がり両手を合わせる。
「これは違うのっ!!わ、わたしはいやだっていったのよ?」
「うー、そんなつれないこと言わないでよ。
僕は、確かに心が触れ合ったなって思ってたんだけど……」
「あー、わたし、コイツのことなんて何とも思ってないんだからね?」
双葉の言葉は、星川の後ろにぼうと立っている少女に向けられている。
キスシーンを見られてしまったことに対する照れ隠しが、
否定的な言葉となって口をついているだけだ。
しかし、その言葉が自分に向けられているものと勘違いし、星川はしょげ返る。
「何とも思ってない……何とも……」
本気で傷ついていそうだ。
そんな彼らの、ほほえましい誤解と混乱などまるで意に介さず、
第三の人物・透子は、飄々と言葉を続ける。
「警告事由はゲーム管理の阻害」
……ここで初めて星川は声に気付いた。
次いで言葉の意味するところも理解する。
「この人……」
双葉に目配せを送ると、彼女も冷静に戻っていた。
「うん、「あっち側」の人みたい」
星川は半歩前に踏み出し、双葉を自分の背の後ろへと誘導する。
その動きはとても自然だった。
「話し合いの余地って、あったりする?」
硬い笑顔で透子に尋ねる星川の後ろで、双葉は指をせわしなく動かし呟いている。
星川が知らない双葉の力―――陰陽師の呪の準備の為に。
この少女は、ただ守られることに満足するようなお嬢様ではない。
だが、彼らの用心は杞憂に終わる。
「首輪……」
「このスペアの首輪を嵌めなさい」
「正午の放送までに」
「さもないと」
「死ぬことになる……」
透子は手のひらを開き、握っていたものを落とすと、そのまま、
………。
表情一つ変えずに消えてしまった。
音も、風も、空間のゆがみも、痕跡も無く。
光狩を撃つ火者の星川と陰陽の秘術を受け継ぐ双葉。
どちらも、超常現象を日常として暮らす人間だ。
だがその彼らにも、透子がなんであるのか、見当もつかなかった。
ここに彼女が確かにいたのか、いなかったのか。
それすらわからない。
……暫くして、ようやく星川が口を開く。
「ホログラムとか……かな?」
「そうでもないみたいよ」
双葉が指差すそこ―――透子がいた場所には、鈍く光る首輪が草に埋もれていた。
(8:45)
少女は木造校舎の窓枠に腰掛け、空を眺めていた。
雲ひとつ無い一面の青空だ。
しかし彼女の目に映る世界は、それだけではない。
今生まれた思考、過去に生まれた気持ち。
すぐそばで生まれた感情、遥か遠くで生まれた記憶。
彼女の焦点の合わない瞳には、それら全てが形あるものとして映っていた。
思いの数は余りにも多く、互いに押し合い潰しあってかろうじて存在している。
「あなたが、どんどん埋もれてしまう……」
宇宙船の墜落で失われた彼女の半身―――
最愛のパートナーが僅かに残した記憶を探して、彼女はまた検索を始める。